幻想七陸交易記 ~3~

 夏の港独特の、霧に包まれる薄闇に滲む船灯りはひとつどころに集まり始める。集まったところが埠頭。岬や海が闇に溶けていくと、入れ替わるように埠頭近くの繁華街の灯りがさえざえと輝きはじめた。
 
 通りのひとつ、窓も扉も開け放った酒場。
 ストラッドの目の前で、うさんな奴、ムウは小麦の練りものをスープにひたし、歯で食いちぎって言った。

「気持ちや、その無念もわからんでもないが、この時代に仇だ何だと言って交易はできんだろ」
「…………」
「港市で、どうにも手際の悪い兄さんがいるな、と思ってたらそういうことか」

 納得がいったよ、とワインを満たした銅製のコブレットを渋そうな顔をして煽る。

「悪いか?」
「悪くはないが――親の仇相手でも平然と商売できるタフな奴の方が、むしろ誉められそうなもんだと思わんか?」
「…………」

 ムウの言い分にも一理は、ある。
 世俗と商業界での常識は真反対というか、逆手というか、信用の得るところが違った。今、こうして話していても怪しさや不健全さ、総じて抜け目なさを感じる。だが、親切そうな顔をして近づいてくる奴よりは、彼の述べようとする理も信用できそうだ。
 マウロが口を柔らかい調子で口を開いた。

「若者よ、なぜ我々の品を高値で買うのかな? 損切りの話は聞こえたはずだが」
「……わかってねえな」

 ムウはほつれたターバンの隙間にひとさし指を挟み、小刻みに掻いた。

「朝市は……手堅く儲けられるが面白味が少ねえ。遅市は、腕次第だ」
「と、言いますと?」
「掘り出し物を探して取引すんだよ」

 朝市とは名の如くではなく、物資が到着した最初の取引を指し、遅市は2日目以降の取引を指した。

「朝市は相場、それもなんつーかな、市場的な相場でおおよその値は決まってんだろ? だいたいの畑の取れ高情報は春先から出回ってるから、市が立ってから大振れしたりはしねえ。どっこい、物には上下があるのと同じで、客の好みにも左右があるんだ」
「なるほど……酒も然りと?」
「そうだ。上下以上に左右がモノ語る品だな。もっと言えば安物でも、地域にとって珍品であれば良値がつくこともある。無論、オレの目があってのことだ」
「ほう、眼力に自信ありのようですな。だいたい話は読めました」

 ストラッドとカミイロは首を傾げるのでマウロがまとめた。

「つまり、ですな。我々の持つ毛織物。いずこかは知りませんが、この”質”ならば20ポンドは軽く上回る値で捌ける市を彼は知っている。故に明日の市で叩き売られてしまうより早く抑えたいと言っているのですな」
「なぜそれを先に言わない?」
「そりゃあんた……教えちまったら、値をつり上げてくるだろ」
「そんな卑怯な真似はせん。騎士道に反する」
「き、騎士道?」

 きっぱりと告げるストラッドにムウはぽかんと口を開け、マウロもカミイロも俯いた。

「さ、さすがのオレもまさか騎士道なんて言葉が聴けるたあ思わなかったな。あんたの親父さんは交易商なんだろ?」
「父の祖父は騎士だ」
「ざっと100年以上も昔の話ですがな」

 マウロが補足する。ムウもなんとか落ち着きを取り戻し、開きっぱなしだった口をようやく閉じ、それから周囲を見渡した。
 酒場の中央には無事の生還を祝い大声を荒げる航海士共、隅にはぎらついた目でただならぬ会話をする者たちや、賭博のカード遊びに興じる者たちち、何かと曰く付きなあらくれと呼ばれる連中が揃っている。
 昨今では、貴族同士の争いもこういったあらくれ集団、傭兵が中心となりつつあり、特に金ばかり掛かる騎士道を語る騎士様は絶滅危惧種かもしれない。
 とりわけアラブ系のムウにとっては珍獣同然でもある。

「オレの故郷<クニ>へ持って帰ったら、あんた売れるかもな」
「故郷はどこだ?」
「アレクサンドリアだ」

 夕方に着いた船に便乗していたとムウは言った。アレクサンドリアは北アフリカ大陸、地中海に面したエジプトの巨大海洋都市である。

「ずいぶん都会だな」
「騎士様の出身はどこだい?」
「ジェノヴァだ。ローマまで売り歩いて、今は帰途にある」
「ほほー。こんなご時世に爺さん二人を連れて行商か」

 大した腕なんだろうなと言うと「ええ、そこが自慢の御曹司でして」と郎党二人が頷いた。

「で、そんだけ歩いても大した儲けにならんのか。だったらお家柄再興の為にも商売相手を選んでる場合じゃねえ気もするけどな。よくは知らねえが、騎士道とやらの本懐も目的の為に手段を選ばずってのが無かったかい?」
「大幅な誤解だ。家名を穢す行いこそ最も騎士道に反する」
「騎士か商人か区別つかんが、ジェノヴァ人としちゃ珍しい御仁だな」

 首を傾げるムウに「我らの命も風前のともしび……」と郎党二人は沈んだ。

   ◆  ◆  ◆

 明朝、早々にムウと取引を終え、ストラッド達はピサの港町から西北、スカウルス街道へと出た。

「オレも怪しさを売りとした商人を気取っていたが、あんたの”きしどう”はそれをも凌駕しているな」

 別れ際、ムウの言った言葉である。「面白い話ができた」と機嫌良く銀13ポンドを提示したところ、ストラッドの方が「いやいや、勉強になった」と12ポンドで手を打った。
 人柄に惚れた、といえば少々大袈裟になるのだろうが、

「もしいつか、オレの故郷に来ることがあったら是非寄ってくれ。旨い酒を振る舞おう」

 銀を詰めた革袋に加えて書名やら住処を記した羊皮紙をムウは手渡してきた。

「その頃までには、”ジェノヴァ人は噂と違い、阿呆もいる”と広めておくよ」

 そうも言って笑い、ひとり荷馬車を引いて去っていく。

「御曹司、この銀を元手に今度こそ間違えずジェノヴァで塩と交易できれば黒字ですな。――ひさびさの」

 と、マウロが言った。




(――つづけ)


                著・MAO-
幻想七陸交易記 ~2~

 ローマから西方へ4日、そこにピサ共和国がある。
 この頃の街とは、壁で覆う城塞都市を指し、ピサも例外なく街壁に囲まれていたのだが、もうひとつ呼び名がある。
 イタリア半島四大海洋国家。
 中世トスターニ地方を代表する港街のひとつだった。

 ゆるやかに、リグリアの海を越えて港へ入ってくる帆船は、うすすぐ陽を負い、やがてストラッド達の眼前に迫ってきた。
 地中海では交易船だとひとめでわかる。小帆と大帆の2本の三角マスト、それから船底より千足虫のように蠢く無数の櫂。ガレーといわれる型の改良帆船である。
 ストラッドは腰に手を当てたまま、ぼーっと惚けるように、しかし瞳を大きく見開き、交易船が帆を畳み、櫂で入港する様を見つめていた。

「良いな、いくぶん小型だが最新のイタリア式だ」

 マウロやカミイロにはよくわからないのか、「ほうほう」と眉を潜めて若者と共に船を見る。
 本来ガレー船というものは櫂で漕ぐ人力のアラブ船である。これをイタリア地方の商人達と船大工が地中海における交易仕様に改良を施した。大きな特徴は2本、時に大型の場合なら3本の、三角形マストにある。

「さあさ、御曹司。眺めるのはそこまで。早く行きましょう行きましょう」

 スルスルと小帆までも巻き上げる様を見たカミイロが、動こうとしなくなったストラッドの背を押した。

    ◆  ◆  ◆

 港で交易船を待っていたのはストラッド達だけではない。ピサ近郊を縄張りとする仲買いの商人の群れだの、手押し車に土地の糸やら綿、毛織物を積んだ百姓問屋だの、獣や食糧を担ぐ物売りだのと、桟橋は寄せる人影で埋まっていき、すでに市がたとうとしていた。

 なにしろ。
 ヨーロッパ大陸、小アジア、北アフリカを口とし、地中海を動脈とした交易船には、陸で手に入る物は何一つ積んでいないのだ。貴族の奥様方が欲しがる珍しい奢侈品も、豪商人が欲しがる貴金属も、そして北欧人にとってはなくてはならない香辛料も、どれひとつこの船にしか積んでいないのだ。

 ましてや、今日やってきた船は南方、北アフリカのアレキサンドリアからやってきた。南アフリカにあると言われる黄金王国、ガーナよりサハラ砂漠を越えた金が、この船を介してやってきた。
 港を埋め尽くす商人達の中にはきっと(ストラッドのように)ピサ遠方より訪れた行商人も少なくないだろう。
 夕方から夜中にかけて、おそろしく騒がしくまた慌ただしい取引がはじまった。
 石を敷き詰められた港口に開かれた市では、船から降りてきた交易商、それから現地で雇われた手代が中心に競り争う声が響き、急ごしらえな木組みの机に構える両替商の首も右を向き、左を向き、せっせせっせと交換に勤しむ。その間を品物と代金が地元商人の手によって行き来する。
 
 交易は交換とは少々おもむきがちがい、交換をもって商売とするところに面白みがある。いくつかの過程を大雑把に分け、最終目的、手段、達成とし、交換であるならば手段のみとなるのだが、交易はこの過程すべてにおける人々の営みである。

 たとえば、とある若者が腹を満たしたいと思う。しかし代価となる金が無い。その代わり若者は一冊の古い書物を持っていた。
 14世紀の中頃、金属活字を用いた活版印刷が盛んに行われたことにより、欧州全域において書物は流行の一品であった。しかし流通が需要に追いつかず、ともすれば破損が見られた古書物でも『読むことができるなら』それなりの値がついた。
 さて、この本を小さな町で質に入れた場合、本は本としてではなく骨董として扱われてしまう。欧州全域に認められた本であれば相応の値がつくが、その質屋にて購う住民の価値判断でしか値がつかないから本は”真の価値”を得られず、銀2シリング、一日切り詰めて食えるかどうかといったのが相場だ。

 真の価値とは、本の場合”内容”である。文字の旨味である。
 欲しい者にとっては世間的に2シリングであろうが、いますぐ10シリング出しても惜しくはない。もしその人物が手近にいるなら、質屋の主人とて店棚に放って置きはしないだろう。

 この人物を見つける方法はさておき、若者はみごと銀10シリングで書物を捌くことができたとする。そして、今度はこの10シリングを腹を満たせる食糧に替えねばならない。

 これとて地方に行けば行くほど価値が薄れてくる。アンティークとしての銀細工ならいざ知らず、ただの土塊<つちくれ>を、命そのものな食糧と替えてくれる村人は少ない。都市との相場を比べればせいぜい5シリング分の価値だ。であるから銀の価値をわかる者を探さねばならない。

 若者は都市へ行くが、そこは地中海中から商人が集まる多国籍な場所だ。銀に対しても価値観がまるで違うから、その都市にあって共通する媒介物、すなわち”貨幣”に両替する必要がある。
 それを商うのが両替商だ。目利きであるほど信頼が高く、より多くの手数料を得られる職業である。砂金と雲母<ウンモ>を間違うような目では話にならない。

 あとは各々の創意工夫だ。危険はつきまとうが交換を繰り返し貨幣を増やすもよし、良いところで切り上げるもよし、しがなく破産するも致し方なし。若者に限っては自分の住む村は岩塩にも乏しい内陸であったから、手にした貨幣を元に塩などを買うのが良かった。貨幣のままでは銀より価値がない。
 村では物産による等価交換が常套で、袋に詰めた塩を、地主相手な問屋辺りに渡せば「ではこれらの物と交換しましょう」と荷車一杯の作物と替えて貰えた。作物を生産している村では野菜など塩と比較しようのないほど大した値にはならないからである。まして問屋にしてみれば都市へ行く手間も省けた。
 かくして若者は一日食えるかどうかの古書物を交易により、様々な手数料をさっ引いても、ざっと一ヶ月分の食料へと替えたのである。

 だから交易では「いま、どこで、誰が、何を欲しているか」という新鮮な情報が命であり、僅かでも遅れたらご破算なのである。最初の本を10シリングで買ってくれる者とて二冊目は要らないし、仮に手元に置きたくとも価格は一冊目に比べてぐっと下がるだろう。
 
 ――すなわち市では迅速な動きが最も要求される。

 正確な知識、決断、どれも大事だが、迅速あってはじめて生きてくるのだ。
 市の商人は始まりはまだ緩やかな顔を持つが、品薄になる終いに近づくにつれて顔色はどんどん渋くなっていく。売るも買うも、たとえ等価交換でも渋る。
 輸送の手間暇や、道中で賊に襲われる危険性、どれも馬鹿になったものではないから、予定を変えて港で商いだす者も出てくる。そうなった品はどんどん値が吊り上がっていく。ただの交換場としての市ならこうはならないが、この商人にとって最終目的が品ではなく”金”であったから、途中の手段など如何様にも変わる。

 やがて、市の取引は終わった。仲買人も百姓問屋も物売りも、三々五々、散っていく。
 交易はおおむね成功を収められた満足顔だった。
 先の書物の例とは違い、研鑽を重ねられた地中海交易では、あらかじめ”売れ筋”というものを商人達は知っている。少々、判断を誤っても迅速さえ知っていればある程度は取り戻せるし、「ええい、あの時ああすれば」という経験も追い風となるだろう。よほどトンマな真似をしない限り失敗らしい失敗はない。
 そう、よほどトンマでない限りは……。

「御曹司、大失敗でしたな」

 普段はあまり不平を述べないカミイロが、売れ残った品を積む荷台にむかって溜め息をついた。

「値が上がったから待つ、それは良いのですが……待ちすぎるというのも考えもの。これしきの塩では赤字です」

 マウロも荷台の後ろに置かれた土焼きの壺三つ、木蓋を開けて中に入った塩に溜め息をついた。

「…………」

 ストラッドは何も言わず、難しい顔をしていた。
 彼等はジェノヴァより、さらに北方で仕入れた毛織物を南、ローマ辺りから売り歩き、このピサで売り尽くし、塩と交換して持ち帰る計画であった。
 年中必要とされる塩とは違い毛織物は夏場は安いが、冬を見越して仕入れる商人もいる。欲する者を探すためにローマで一息で売り尽くさず、じっくり値を見る戦法を用いているのだが、完全な裏目とでた。値が上がりすぎたのである。
 扱う商品の値が上がれば喜ぶのが常だが、逆に買う者が減ることもある。高等しすぎた品を買わずに待ち、下がり始めで買うこともあるし、むしろストラッド達のように場所を変える必要も出てくる。これも書物の例と同じで、相場の算高が狂っている市では取引しないのも常套だ。
 故に一夜にして莫大な財を得ることもあるが、あまり奇抜さを狙わず、手堅く情報を集めて迅速を旨に商う方が好まれていた。

「明日、売り尽くそう」

 ストラッドはそう言った。
 売り尽くす、僅かでも損失を薄める損切りという手法だ。どうしても「それをするなら何故さきに……」という疑念が首をもたげ、商人として嫌悪される。
 だが、それを言っては交易などやっていられない。マウロとカミイロは有無も言わず頷き、損切り品を商う交易2日目の港市に備えることにした。積み荷をいまいちど確認し、縄で止めようとしたときだった。荷造りをするストラッドの背後から、

「待ってくれ」

 と、呼んだ者があった。

   ◆  ◆  ◆

 港市で仕切りに珍酒を売買するアラブ系の若人が居たのは知っていた。大きな市場でターバン商人を見ることは珍しくないのだが、彼のように髪がはみ出すような粗忽な巻き方をする者はまず民族的に珍しい。

「明日の安市で売るなら、オレに売ってくれないか」

 ストラッドは彼の目を見た。自分とそう変わらぬ歳だろうか、一人で車を引いて商う者か。粗忽そうだが、ジェノヴァ人に負けじと商魂逞しそうではある。

「なぜ、これを?」
「それを聞くかい?」

 商人が物を買う理由など訊かぬが常道。アラブの若人は両手を拡げ唇の端を持ち上げた。

「銀なら……そうだな、まとめて600シリング……いやそうだな、20ポンドでどうだい?」

 なに、とストラッドは目を開いた。高騰した終値には遙か及ばないが、始まり値よりは高い。ところが、その狼狽を見て若人は、

「おっと、じゃあ18ポンドだ」
「…………?」

 いきなり値を下げてきた。狼狽するストラッドに、荷直しに専念していたマウロ達も思わず顔を見合わせ溜め息をつく。アラブの若人は腹を抱えて笑う。

「あんた、駄目だよ。そんな物欲しそうな顔しちゃさ」
「なんだと」
「よし、勉強料と合わせて15ポンド。ここで手を打たねえかい?」

 ずかずかと一方的に商談を進める彼に「待った」をかけた。損切り狙いの商人は大勢いる。だからこそ”2日目”などという悠長な市も立つ。だが、叩き値となる毛織物は明日、おそらく10ポンドは下回るはずだ。

「なんだ、12ポンドで売ってくれるのかい?」
「いや、15ポンドでいい。それよりなぜ今買うんだ? 先の情報か?」

 先の情報とは相場操作をする問屋勢の持つ有力情報である。
 しばらく若人はそっぽを向いていたが、

「売れ残りを買おうってな奇特なヤツにそれを言うかね。商売相手を選びすぎだよ」

 わからんでもないが、と肩を竦めて向き直った。頭からつま先まで、値踏みをするようにストラッドを見る。物言いはハキハキとし、濃い眉と茶褐色な肌に映える薄紫の唇は若人ながら威圧感もある。
 少し機嫌を損ねたとしても慎重に取引したい、そうストラッドは思った。たとえば……渡された銀が偽物である可能性もある。
 そんな雰囲気を悟ったのか、

「よっしゃ、場所をかえて商談といこうじゃねえか。あんたの名前は?」
「自分から名乗れ」
「なんだよ、面倒くさいやつだな。オレはムウ・ラー・クーンだ」

 怪しいアラブ商人ムウが名乗ると、ストラッドも応じることにした。



 


(――つづけ)


                著・MAO-
幻想七陸交易記 ~1~

 時は15世紀末、いまより500年ほど前のこと。

 ――1482年、8月半ば、イタリア半島。

 ティレニア海沿岸部を伝う街道に旅人達がいた。

 その街道・アウレーリウス街道は、のちに長靴状と呼ばれるこの半島の中心部にあたるローマより北西、ジェノヴァへ向かう、いわゆるローマ道のひとすじである。
 逆に言えば北方ジェノヴァ方面より聖地エルサレムへ向かう巡礼の路でもあったから、旅人がいるのは不思議なことはなく、このように夏の暑い陽の元でも行き交う商人や巡礼者を含めた旅人の往来は尽きずにいた。

 それでも、その旅人達はどこかしら風変わりな気配があった。

 先頭を歩く若者、荷馬を挟む郎党二人、合わせて三人。荷車を引く馬は、ひどく老いぼれ栗毛には艶はなく、両脇を歩く郎党風の男達もまた年老いていた。青年の歳は15、6といった辺りだろうか、身なりはいたってみすぼらしく、一応、護身用の剣を腰に刺してはいるが、装飾の欠片も見当たらず、鞘は錆が遠目でもわかるほど古めかしい。

 要するに、このような貧乏臭い青年が二人の家来を付き従えて歩いているのがおかしいのだ。ふと行き違った商人達も、訝しそうにしげしげと三人を眺めている。

 もうひとつ、青年の変わったところと言えば顔つきだ。なかなか凛々しげな面魂だ。若者特有の覇気を感じさせる瞳も澄んだ雰囲気も併せ持ち、郎党と何か会話を交わす時に見える白い歯並びも決して下品ではない。
 そういう意味では、彼の身につける衣装は、肩に羽織る皮の外套<マント>にしろ、内に着た麻の服にしろ、継ぎ接ぎに幾重と縫い合わされた跡だらけだが不思議と賤しさを感じさせることもなかった。
 行き違った商人は、台車の上の藁でくるまれた荷などよりも、ともすれば彫刻の標になりそうな青年に目を光らせる。

(なるほど、見てくれはていの良い乞食同然だが、おそらくは貴人の子か)

 先だって十数世紀、イタリアの半島はいまだ統一されたことのない戦争の絶えぬ地域であった。故に、財に富む商家や貴族の名家の主家が執政を司り、いまなお自治都市<コムーネ>によって割拠している時代でもある。
 たとえば今歩くこのアウレーリウス・スカウルス街道もまた、アウレリウス家とスカウルス家から輩出された執政官が普請した国道ならぬ”執政街道”と称されている。
 血統ではなく家筋により盛衰する共和国では、特に戦乱の最中にある商家や商業貴族の門閥争いなど茶飯事と言えた。

 旅の商人はにやりとし、彼らのぼろぼろな背中を見送った。
 没落した貴族か商家の子であろうが、商いは人によって盛衰が決まる。この若者は成功するに違いないと笑ったのである。

 成功するしないは神のみぞ知るところだが、彼の出自に対する推測は当たっていた。
 ぼろを纏う旅の青年の名はストラッド・オーヴェ。海洋交易でその名を馳せたオーヴェ家の現嫡子となる。ジェノヴァにあるオーヴェ家と言えば、特に明礬<ミョウバン>の交易筋ではわりかし通った名ではある。が、交易は一代、いや一年にして財を築くこともあれば、当人に関係のないところで都市通貨や産物が暴落して、一夜に財を失うこともある。オーヴェ家の場合は、ただ商売敵となるコムーネの私掠船によって、父や財、それらの命脈を絶たれた。無論それだけが全くの理由ではないが、とにもかくにも盛衰激しいそういう時代なのである。

 郎党の一人、白髪のマウロが土埃まみれの顎を拭いながら言った。

「今しがた擦れ違った商人は……コンスタンティノーブルからやってきたのでしょうかな」

 丈の長い上着<カターフ>に、赤色のターバン。コンスタンティノーブル――新名をイスタンブール――その商人であろうと、マウオは口元を緩めた。

「それがなんだ」と、先頭をきびきび歩いていたストラッドは露骨なまでに顔を歪めた。

「今ごろ、あちらはさぞかし栄えておるのでしょうなあ」

 荷車を隔て、隣を歩くもう一人の郎党、白髪も少なくマウオよりはいくばくか若い感じのするカミイロは「うむうむ」と頷く。

「御曹司、お父上の船を沈めたオスマンの者が許せぬのはわかります。
その思いは私もカミイロも同じ。しかし商道においては無用の長物」

 マウロの言葉にカミイロはまた「うむうむ」と頷いた。がストラッドは鼻を鳴らした。

「オスマンの連中とは絶対に取引などせん。やつらが栄えれば、それだけ損をするのはこちらだ」

 やれやれ、とマウロは首を横に振ると、ストラッドもそれ以上喋ろうとはしなかった。
 口論が途絶えると、ふとカミイロが言った。

「御曹司、空腹たまらんのでしょう。怒るからですな」

 カミイロは頬にえくぼをつくり、荷台に積まれた藁の束を叩いた。

「食事にしませんか」

 話は少し遡り、30年ほど前のことになる。コンスタンティノーブルは東ローマの国、所謂キリストの国であったのだが、西方より勢いを増してきたオスマン帝国によって陥落したのである。

 西暦にして1453年、5月29日。

 この日を境に、地中海と黒海を結ぶ海上交通の要衝をオスマン側に抑えられてしまった。あくまでも支配圏が変遷しただけで通商権自体はジェノヴァもヴェネツィアもかろうじて保有してはいるが、経済的な大打撃は免れなかった。
 ではあるが、東ローマ帝国崩壊は単に商業圏が遷り変わったというだけでは済まなかった。

 支配者の顔ぶれが変わった。
 コンスタンティノーブルにあるキリスト教会がオスマンのモスクに改築された。
 援軍であったはずの十字軍のあまりな不甲斐なさにより、教皇の威厳が失墜をした。
 北欧人の砂金と称される香辛料が高騰する。
 文字通り、古代より中世を謳歌したローマ帝国の系統がここで完全に途絶えた。

 ――否、そうではない。

 それだけのことであれば、やはり茶飯事。
 茶飯事ではない。黒海交易、欧州の命泉である地中海だけでもなければ、欧州アジアのユーラシア大陸やアフリカ大陸だけに留まるような事件ですらない。

 東ローマ帝国崩壊とは、世界、7つの海と陸とが不可視の情報線で繋がれ、交わる時代の到来、すなわち大航海時代を迎えることになる。

 1500年間、信じられていた天と地の定義すら、瞬く間に反転するような時代。
 誰に想像できようはずもなく、しかし嫌が応にも受け入れざるを得ない革命よりもなお革命的な変革期。
 いま、海岸沿いのローマ街道の端くれで地中海を眺めながら下人達と安っぽい干し芋を囓る貧しい欧州の一青年ストラッド・オーヴェにすらも例外なく、膨張した情報という名の波が押し寄せようとしていた。


(――つづけ)


                  著・MAO-

幻想七陸交易記

2012年12月30日 趣味
(物語のあらすじ)

 2億年5千万年前、原始の海洋に巨大な大陸が現れた。
 分離と衝突を繰り返し、広大な世界の海にはただひとつの大陸――超大陸パンゲアを形成することとなる。

 だが再び分離を始める。1千万年刻みで、それぞれ、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、南北のアメリカ大陸、インド亜大陸と南極大陸へと離別していく。
 文化・文明を、個々が強く識別するアイデンティティだとするならば、同時にそれは文化・文明の分離を意味した。

 別れて数万年、気が遠くなるほどの年月を経て、今よりわずか数世紀前、別れて互いを知ることは無く、文明をアイデンティティとすれば閉鎖的と言わざるを得ない個々の情報同士が、とある”路”によって、良くも悪くも解釈しようのない交流をもって結びつく時が訪れることになる。

 ――その時代とは。


                     著・MAO-

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