幻想七陸交易記 ~3~
2013年1月3日 趣味夏の港独特の、霧に包まれる薄闇に滲む船灯りはひとつどころに集まり始める。集まったところが埠頭。岬や海が闇に溶けていくと、入れ替わるように埠頭近くの繁華街の灯りがさえざえと輝きはじめた。
通りのひとつ、窓も扉も開け放った酒場。
ストラッドの目の前で、うさんな奴、ムウは小麦の練りものをスープにひたし、歯で食いちぎって言った。
「気持ちや、その無念もわからんでもないが、この時代に仇だ何だと言って交易はできんだろ」
「…………」
「港市で、どうにも手際の悪い兄さんがいるな、と思ってたらそういうことか」
納得がいったよ、とワインを満たした銅製のコブレットを渋そうな顔をして煽る。
「悪いか?」
「悪くはないが――親の仇相手でも平然と商売できるタフな奴の方が、むしろ誉められそうなもんだと思わんか?」
「…………」
ムウの言い分にも一理は、ある。
世俗と商業界での常識は真反対というか、逆手というか、信用の得るところが違った。今、こうして話していても怪しさや不健全さ、総じて抜け目なさを感じる。だが、親切そうな顔をして近づいてくる奴よりは、彼の述べようとする理も信用できそうだ。
マウロが口を柔らかい調子で口を開いた。
「若者よ、なぜ我々の品を高値で買うのかな? 損切りの話は聞こえたはずだが」
「……わかってねえな」
ムウはほつれたターバンの隙間にひとさし指を挟み、小刻みに掻いた。
「朝市は……手堅く儲けられるが面白味が少ねえ。遅市は、腕次第だ」
「と、言いますと?」
「掘り出し物を探して取引すんだよ」
朝市とは名の如くではなく、物資が到着した最初の取引を指し、遅市は2日目以降の取引を指した。
「朝市は相場、それもなんつーかな、市場的な相場でおおよその値は決まってんだろ? だいたいの畑の取れ高情報は春先から出回ってるから、市が立ってから大振れしたりはしねえ。どっこい、物には上下があるのと同じで、客の好みにも左右があるんだ」
「なるほど……酒も然りと?」
「そうだ。上下以上に左右がモノ語る品だな。もっと言えば安物でも、地域にとって珍品であれば良値がつくこともある。無論、オレの目があってのことだ」
「ほう、眼力に自信ありのようですな。だいたい話は読めました」
ストラッドとカミイロは首を傾げるのでマウロがまとめた。
「つまり、ですな。我々の持つ毛織物。いずこかは知りませんが、この”質”ならば20ポンドは軽く上回る値で捌ける市を彼は知っている。故に明日の市で叩き売られてしまうより早く抑えたいと言っているのですな」
「なぜそれを先に言わない?」
「そりゃあんた……教えちまったら、値をつり上げてくるだろ」
「そんな卑怯な真似はせん。騎士道に反する」
「き、騎士道?」
きっぱりと告げるストラッドにムウはぽかんと口を開け、マウロもカミイロも俯いた。
「さ、さすがのオレもまさか騎士道なんて言葉が聴けるたあ思わなかったな。あんたの親父さんは交易商なんだろ?」
「父の祖父は騎士だ」
「ざっと100年以上も昔の話ですがな」
マウロが補足する。ムウもなんとか落ち着きを取り戻し、開きっぱなしだった口をようやく閉じ、それから周囲を見渡した。
酒場の中央には無事の生還を祝い大声を荒げる航海士共、隅にはぎらついた目でただならぬ会話をする者たちや、賭博のカード遊びに興じる者たちち、何かと曰く付きなあらくれと呼ばれる連中が揃っている。
昨今では、貴族同士の争いもこういったあらくれ集団、傭兵が中心となりつつあり、特に金ばかり掛かる騎士道を語る騎士様は絶滅危惧種かもしれない。
とりわけアラブ系のムウにとっては珍獣同然でもある。
「オレの故郷<クニ>へ持って帰ったら、あんた売れるかもな」
「故郷はどこだ?」
「アレクサンドリアだ」
夕方に着いた船に便乗していたとムウは言った。アレクサンドリアは北アフリカ大陸、地中海に面したエジプトの巨大海洋都市である。
「ずいぶん都会だな」
「騎士様の出身はどこだい?」
「ジェノヴァだ。ローマまで売り歩いて、今は帰途にある」
「ほほー。こんなご時世に爺さん二人を連れて行商か」
大した腕なんだろうなと言うと「ええ、そこが自慢の御曹司でして」と郎党二人が頷いた。
「で、そんだけ歩いても大した儲けにならんのか。だったらお家柄再興の為にも商売相手を選んでる場合じゃねえ気もするけどな。よくは知らねえが、騎士道とやらの本懐も目的の為に手段を選ばずってのが無かったかい?」
「大幅な誤解だ。家名を穢す行いこそ最も騎士道に反する」
「騎士か商人か区別つかんが、ジェノヴァ人としちゃ珍しい御仁だな」
首を傾げるムウに「我らの命も風前のともしび……」と郎党二人は沈んだ。
◆ ◆ ◆
明朝、早々にムウと取引を終え、ストラッド達はピサの港町から西北、スカウルス街道へと出た。
「オレも怪しさを売りとした商人を気取っていたが、あんたの”きしどう”はそれをも凌駕しているな」
別れ際、ムウの言った言葉である。「面白い話ができた」と機嫌良く銀13ポンドを提示したところ、ストラッドの方が「いやいや、勉強になった」と12ポンドで手を打った。
人柄に惚れた、といえば少々大袈裟になるのだろうが、
「もしいつか、オレの故郷に来ることがあったら是非寄ってくれ。旨い酒を振る舞おう」
銀を詰めた革袋に加えて書名やら住処を記した羊皮紙をムウは手渡してきた。
「その頃までには、”ジェノヴァ人は噂と違い、阿呆もいる”と広めておくよ」
そうも言って笑い、ひとり荷馬車を引いて去っていく。
「御曹司、この銀を元手に今度こそ間違えずジェノヴァで塩と交易できれば黒字ですな。――ひさびさの」
と、マウロが言った。
(――つづけ)
著・MAO-
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