幻想七陸交易記 ~2~
2013年1月1日 趣味 コメント (2)ローマから西方へ4日、そこにピサ共和国がある。
この頃の街とは、壁で覆う城塞都市を指し、ピサも例外なく街壁に囲まれていたのだが、もうひとつ呼び名がある。
イタリア半島四大海洋国家。
中世トスターニ地方を代表する港街のひとつだった。
ゆるやかに、リグリアの海を越えて港へ入ってくる帆船は、うすすぐ陽を負い、やがてストラッド達の眼前に迫ってきた。
地中海では交易船だとひとめでわかる。小帆と大帆の2本の三角マスト、それから船底より千足虫のように蠢く無数の櫂。ガレーといわれる型の改良帆船である。
ストラッドは腰に手を当てたまま、ぼーっと惚けるように、しかし瞳を大きく見開き、交易船が帆を畳み、櫂で入港する様を見つめていた。
「良いな、いくぶん小型だが最新のイタリア式だ」
マウロやカミイロにはよくわからないのか、「ほうほう」と眉を潜めて若者と共に船を見る。
本来ガレー船というものは櫂で漕ぐ人力のアラブ船である。これをイタリア地方の商人達と船大工が地中海における交易仕様に改良を施した。大きな特徴は2本、時に大型の場合なら3本の、三角形マストにある。
「さあさ、御曹司。眺めるのはそこまで。早く行きましょう行きましょう」
スルスルと小帆までも巻き上げる様を見たカミイロが、動こうとしなくなったストラッドの背を押した。
◆ ◆ ◆
港で交易船を待っていたのはストラッド達だけではない。ピサ近郊を縄張りとする仲買いの商人の群れだの、手押し車に土地の糸やら綿、毛織物を積んだ百姓問屋だの、獣や食糧を担ぐ物売りだのと、桟橋は寄せる人影で埋まっていき、すでに市がたとうとしていた。
なにしろ。
ヨーロッパ大陸、小アジア、北アフリカを口とし、地中海を動脈とした交易船には、陸で手に入る物は何一つ積んでいないのだ。貴族の奥様方が欲しがる珍しい奢侈品も、豪商人が欲しがる貴金属も、そして北欧人にとってはなくてはならない香辛料も、どれひとつこの船にしか積んでいないのだ。
ましてや、今日やってきた船は南方、北アフリカのアレキサンドリアからやってきた。南アフリカにあると言われる黄金王国、ガーナよりサハラ砂漠を越えた金が、この船を介してやってきた。
港を埋め尽くす商人達の中にはきっと(ストラッドのように)ピサ遠方より訪れた行商人も少なくないだろう。
夕方から夜中にかけて、おそろしく騒がしくまた慌ただしい取引がはじまった。
石を敷き詰められた港口に開かれた市では、船から降りてきた交易商、それから現地で雇われた手代が中心に競り争う声が響き、急ごしらえな木組みの机に構える両替商の首も右を向き、左を向き、せっせせっせと交換に勤しむ。その間を品物と代金が地元商人の手によって行き来する。
交易は交換とは少々おもむきがちがい、交換をもって商売とするところに面白みがある。いくつかの過程を大雑把に分け、最終目的、手段、達成とし、交換であるならば手段のみとなるのだが、交易はこの過程すべてにおける人々の営みである。
たとえば、とある若者が腹を満たしたいと思う。しかし代価となる金が無い。その代わり若者は一冊の古い書物を持っていた。
14世紀の中頃、金属活字を用いた活版印刷が盛んに行われたことにより、欧州全域において書物は流行の一品であった。しかし流通が需要に追いつかず、ともすれば破損が見られた古書物でも『読むことができるなら』それなりの値がついた。
さて、この本を小さな町で質に入れた場合、本は本としてではなく骨董として扱われてしまう。欧州全域に認められた本であれば相応の値がつくが、その質屋にて購う住民の価値判断でしか値がつかないから本は”真の価値”を得られず、銀2シリング、一日切り詰めて食えるかどうかといったのが相場だ。
真の価値とは、本の場合”内容”である。文字の旨味である。
欲しい者にとっては世間的に2シリングであろうが、いますぐ10シリング出しても惜しくはない。もしその人物が手近にいるなら、質屋の主人とて店棚に放って置きはしないだろう。
この人物を見つける方法はさておき、若者はみごと銀10シリングで書物を捌くことができたとする。そして、今度はこの10シリングを腹を満たせる食糧に替えねばならない。
これとて地方に行けば行くほど価値が薄れてくる。アンティークとしての銀細工ならいざ知らず、ただの土塊<つちくれ>を、命そのものな食糧と替えてくれる村人は少ない。都市との相場を比べればせいぜい5シリング分の価値だ。であるから銀の価値をわかる者を探さねばならない。
若者は都市へ行くが、そこは地中海中から商人が集まる多国籍な場所だ。銀に対しても価値観がまるで違うから、その都市にあって共通する媒介物、すなわち”貨幣”に両替する必要がある。
それを商うのが両替商だ。目利きであるほど信頼が高く、より多くの手数料を得られる職業である。砂金と雲母<ウンモ>を間違うような目では話にならない。
あとは各々の創意工夫だ。危険はつきまとうが交換を繰り返し貨幣を増やすもよし、良いところで切り上げるもよし、しがなく破産するも致し方なし。若者に限っては自分の住む村は岩塩にも乏しい内陸であったから、手にした貨幣を元に塩などを買うのが良かった。貨幣のままでは銀より価値がない。
村では物産による等価交換が常套で、袋に詰めた塩を、地主相手な問屋辺りに渡せば「ではこれらの物と交換しましょう」と荷車一杯の作物と替えて貰えた。作物を生産している村では野菜など塩と比較しようのないほど大した値にはならないからである。まして問屋にしてみれば都市へ行く手間も省けた。
かくして若者は一日食えるかどうかの古書物を交易により、様々な手数料をさっ引いても、ざっと一ヶ月分の食料へと替えたのである。
だから交易では「いま、どこで、誰が、何を欲しているか」という新鮮な情報が命であり、僅かでも遅れたらご破算なのである。最初の本を10シリングで買ってくれる者とて二冊目は要らないし、仮に手元に置きたくとも価格は一冊目に比べてぐっと下がるだろう。
――すなわち市では迅速な動きが最も要求される。
正確な知識、決断、どれも大事だが、迅速あってはじめて生きてくるのだ。
市の商人は始まりはまだ緩やかな顔を持つが、品薄になる終いに近づくにつれて顔色はどんどん渋くなっていく。売るも買うも、たとえ等価交換でも渋る。
輸送の手間暇や、道中で賊に襲われる危険性、どれも馬鹿になったものではないから、予定を変えて港で商いだす者も出てくる。そうなった品はどんどん値が吊り上がっていく。ただの交換場としての市ならこうはならないが、この商人にとって最終目的が品ではなく”金”であったから、途中の手段など如何様にも変わる。
やがて、市の取引は終わった。仲買人も百姓問屋も物売りも、三々五々、散っていく。
交易はおおむね成功を収められた満足顔だった。
先の書物の例とは違い、研鑽を重ねられた地中海交易では、あらかじめ”売れ筋”というものを商人達は知っている。少々、判断を誤っても迅速さえ知っていればある程度は取り戻せるし、「ええい、あの時ああすれば」という経験も追い風となるだろう。よほどトンマな真似をしない限り失敗らしい失敗はない。
そう、よほどトンマでない限りは……。
「御曹司、大失敗でしたな」
普段はあまり不平を述べないカミイロが、売れ残った品を積む荷台にむかって溜め息をついた。
「値が上がったから待つ、それは良いのですが……待ちすぎるというのも考えもの。これしきの塩では赤字です」
マウロも荷台の後ろに置かれた土焼きの壺三つ、木蓋を開けて中に入った塩に溜め息をついた。
「…………」
ストラッドは何も言わず、難しい顔をしていた。
彼等はジェノヴァより、さらに北方で仕入れた毛織物を南、ローマ辺りから売り歩き、このピサで売り尽くし、塩と交換して持ち帰る計画であった。
年中必要とされる塩とは違い毛織物は夏場は安いが、冬を見越して仕入れる商人もいる。欲する者を探すためにローマで一息で売り尽くさず、じっくり値を見る戦法を用いているのだが、完全な裏目とでた。値が上がりすぎたのである。
扱う商品の値が上がれば喜ぶのが常だが、逆に買う者が減ることもある。高等しすぎた品を買わずに待ち、下がり始めで買うこともあるし、むしろストラッド達のように場所を変える必要も出てくる。これも書物の例と同じで、相場の算高が狂っている市では取引しないのも常套だ。
故に一夜にして莫大な財を得ることもあるが、あまり奇抜さを狙わず、手堅く情報を集めて迅速を旨に商う方が好まれていた。
「明日、売り尽くそう」
ストラッドはそう言った。
売り尽くす、僅かでも損失を薄める損切りという手法だ。どうしても「それをするなら何故さきに……」という疑念が首をもたげ、商人として嫌悪される。
だが、それを言っては交易などやっていられない。マウロとカミイロは有無も言わず頷き、損切り品を商う交易2日目の港市に備えることにした。積み荷をいまいちど確認し、縄で止めようとしたときだった。荷造りをするストラッドの背後から、
「待ってくれ」
と、呼んだ者があった。
◆ ◆ ◆
港市で仕切りに珍酒を売買するアラブ系の若人が居たのは知っていた。大きな市場でターバン商人を見ることは珍しくないのだが、彼のように髪がはみ出すような粗忽な巻き方をする者はまず民族的に珍しい。
「明日の安市で売るなら、オレに売ってくれないか」
ストラッドは彼の目を見た。自分とそう変わらぬ歳だろうか、一人で車を引いて商う者か。粗忽そうだが、ジェノヴァ人に負けじと商魂逞しそうではある。
「なぜ、これを?」
「それを聞くかい?」
商人が物を買う理由など訊かぬが常道。アラブの若人は両手を拡げ唇の端を持ち上げた。
「銀なら……そうだな、まとめて600シリング……いやそうだな、20ポンドでどうだい?」
なに、とストラッドは目を開いた。高騰した終値には遙か及ばないが、始まり値よりは高い。ところが、その狼狽を見て若人は、
「おっと、じゃあ18ポンドだ」
「…………?」
いきなり値を下げてきた。狼狽するストラッドに、荷直しに専念していたマウロ達も思わず顔を見合わせ溜め息をつく。アラブの若人は腹を抱えて笑う。
「あんた、駄目だよ。そんな物欲しそうな顔しちゃさ」
「なんだと」
「よし、勉強料と合わせて15ポンド。ここで手を打たねえかい?」
ずかずかと一方的に商談を進める彼に「待った」をかけた。損切り狙いの商人は大勢いる。だからこそ”2日目”などという悠長な市も立つ。だが、叩き値となる毛織物は明日、おそらく10ポンドは下回るはずだ。
「なんだ、12ポンドで売ってくれるのかい?」
「いや、15ポンドでいい。それよりなぜ今買うんだ? 先の情報か?」
先の情報とは相場操作をする問屋勢の持つ有力情報である。
しばらく若人はそっぽを向いていたが、
「売れ残りを買おうってな奇特なヤツにそれを言うかね。商売相手を選びすぎだよ」
わからんでもないが、と肩を竦めて向き直った。頭からつま先まで、値踏みをするようにストラッドを見る。物言いはハキハキとし、濃い眉と茶褐色な肌に映える薄紫の唇は若人ながら威圧感もある。
少し機嫌を損ねたとしても慎重に取引したい、そうストラッドは思った。たとえば……渡された銀が偽物である可能性もある。
そんな雰囲気を悟ったのか、
「よっしゃ、場所をかえて商談といこうじゃねえか。あんたの名前は?」
「自分から名乗れ」
「なんだよ、面倒くさいやつだな。オレはムウ・ラー・クーンだ」
怪しいアラブ商人ムウが名乗ると、ストラッドも応じることにした。
(――つづけ)
著・MAO-
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